「またもらっちゃったの!」
 
この季節になると、いつも近くの親戚の家がくれるタケノコ。ありがたいことなのですが、その日のうちに皮をむいて、ゆでて、ということをしておかなければならず、それにたくさんあればいいというものでもなく、料理のレパートリーも限られているわけで、持て余し気味になってしまうのです。
 
私の小さいころ、昭和30年代は、まだまだ裕福な生活とはならず、お金の恵みはそれほどなく、自然の恵みに頼ることになり、この時期の食卓に並ぶのは毎日タケノコ。毎日旬のものが食べられるなんて、ぜいたくだね、と思うでしょうが、毎日毎日、朝昼晩、それもタケノコの味噌汁とタケノコの煮たやつ。他に料理はなくそれだけ。
 
私のタケノコの思い出はこうなりますが、妻の思い出はちょっと違うようです。結婚したのは昭和50年代。アメリカへの新婚旅行から帰ってきて家族との夕飯を初めて迎えるわけで、妻はきょうはお寿司でも食べられるかなとそれなりに期待したそうです。なのに、出てきたのはタケノコの混ぜご飯。母としては御馳走をふるまったということなのですが、期待と現実との差は相当あったようです。それからの結婚生活のたいへんさを暗示するような出来事なのでした。

「地面に伏せて頭部を守る」
 これは、敵国からの弾道ミサイル落下時の行動として内閣官房が示していることです。Jアラートのメッセージが流れたら、ただちにこれをやり自分を守りなさいと。これを知ったときに私は戦時中に竹やりでB29を落とす訓練を日本国民は真剣にやっていたという話を思い出してしまいました。どれだけの意味があるのかということです。
 戦後77年、日本は「敵基地攻撃能力」をもって敵国に対処しようとしているのです。そもそも敵の基地がどこにあるのか簡単にわかるのかと思ったのですが、識者によれば、「山岳地帯のトンネルに潜み、自走式発射機で移動するミサイルを偵察衛星で撮影するのは極めて困難」とのこと。やはり、竹やりの部類のようなものでした。
 この効果のないようなもののために防衛費予算11兆円をつぎ込むと言うのです。これから国会で議論されるとのことですが、最近特に国会が議論の場になっていないと感じます。それぞれの立場で主張しました。はい、以上。で終わってるような気がします。

 この国はどうなっていくんでしょうか。
 でも、そんなに心配しなくてもいいかもしれません。岸田さんは決断力と実行力のない人のようですから。

〇2023年8月11日

 テレビでタモリさんが「今は戦後ではなく、戦前である」と言い、戦争体験者である黒柳徹子さんは「戦争はあっという間に始まる」と言っています。
 最近、不穏な空気を感じている中で、麻生副総裁は「今ほど日本、台湾、アメリカなどの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟、戦う覚悟が求められている時代はない」と主張し「平時から非常時に変わりつつある」と認識しているとのこと。「戦う覚悟」という言葉を自分が発することがどういう影響を及ぼすか、わかっててやってるんだろうな、という気もします。この人は政治家なのだろうか、いや、仕掛け人か。政治家なら、絶対に戦争を起こさせないという覚悟が必要であると述べるだろうから。
 麻生さんの言う「平時から非常時に変わりつつある」というのはうなずけます。国はこんな考えで進めているんだなという意味で。日本が他国を攻撃する「敵基地攻撃能力」を有することは、専守防衛というこれまでの防衛政策の大転換につながるものなのに、まったく議論がないまま、護衛艦の空母化、ミサイルの調達など、実態だけが先に進んでいます。
 武器を持つ事が抑止力につながるのでしょうか。強い武器を持つことは相手国にとって脅威になるでしょうが、それが抑止力になるのでしょうか。戦争の準備をしている国だという認識になってしまうだけではないでしょうか。
 日本は絶対に戦争はしないという覚悟を持っている国であることを表明してください、麻生さん。

〇2023年5月1日

 私の心に重くのしかかっていることがあります。
  2019年 9月 高校の同級生   享年66
  2020年11月 高校の同級生   享年67
  2021年 4月 高校の同級生   享年68
  2022年10月 大学時代の友人 享年67
  2023年 4月 大学時代の友人 享年67
 毎年、5年連続で、自分の人生に大きく関わった人たちが一人ずつ消えてゆく。そのスタートが自分であり、6年連続に加わっていたかもしれない。2018年12月享年65と。
 あの日、2018年12月22日、新宿で心筋梗塞で倒れて、運よくすぐに手術ができたので一命を取り留めることができました。上高地(神降地)の雪の中で死神に出会い、人生が一瞬にして終わっていたかもしれないと思うと、生き延びることができたことを深く心に刻むことになったのです。
 「終活」という言葉を最近よく耳にしますが、これは文字通り自分の人生をすっきりと終えるための活動ですが、墓や財産のことだけでなく、自分の人生の最終章の準備をしておくことでこれからの人生がより充実して自分らしく生きていくことができるという考え方です。要は、この活動により心残りを少しずつ減らしていこうということです。
 前々から気になっていた家の改築、庭の整備をやりました。前々からやりたいと思っていたカルチャースクールで水彩画の勉強を始めました。福祉ボランティア活動に参加しています。自治会の活動もしています。現役時代と大きく違う点は「人の評価を気にしなくていい」ということです。自分の気持ちに正直に反応して行動しています。
 今なら、死神が近づいてきても、さあ、行きましょうか、と言えそうです。
 

〇2023年4月3日

  ある投稿から
  
 20年前の長男の卒業を思い出しました。
 私が息子の卒業式に気づいたときは、すでに卒業式が終わった後でした。日程を教えてもらっていなかったのです。私もうっかりしていましたが、大学入学を控え登校する日もまちまちだったので「今日も休みなのかしら?」なんて思っていた、のんきな母親でした。
 事実を知ったときは、ショックというよりあきれたというほうがピッタリだったでしょうか。常日ごろ、学校のことはもちろん会話も一方通行でしたので、ここまでやるかという感じだったのを覚えています。
 下の子どもたちの卒業式もありましたので、消化不良の気持ちはどこかに流しました。当時は親との同居生活で育児や家事、そのうえ家業も手伝っていたので、心身ともに大変な時期でした。お弁当も冷凍食品ですませてしまう毎日でした。不満を言わず3年間皆勤賞だった息子に、私の方が感謝しなければいけなかったのかもしれません。
 そうは思っても、今では2児の父親である彼が同じような場面に遭遇したらどう思うかしら・・・と、ちょっぴり意地悪な気持ちがあるのも確かです。
 世の中の難しい年ごろのお子さんを持つお母さん方、これからもめげずに頑張りましょう。

 春から小学校の全学年が「震災後生まれです」と新聞の記事にありました。私の孫も小学6年生になります。
 当時、息子夫婦は東京に住んでいました。
 あの日、彼女は「明日から産休に入ります」と柏市にある職場でみんなに挨拶し、4月下旬の予定日までのことを多少の不安とともに思いを巡らせていました。
 午後、大地震。
 彼女は、このまま職場に残ろうか、自宅に向かおうか迷いながらも、友だちの運転する車で渋滞の中を10時間以上かけて無事に家にたどり着きました。深夜でした。その報告を息子から受け、私たち夫婦は本当にほっとしました。今までこれほどまでに安否を気遣うという経験はなかったのですから。
 1か月後、かわいい女の子が誕生しました。
「当たり前だと思うことが、本当は奇跡の積み重ねなのね」妊娠、出産に対しての私の妻の言葉です。
 その妻は、あの日一人で夜中まで家の中の片づけをすることになってしまいました。パソコンは吹っ飛び、写真の額縁は落ちガラスが飛び散り、金魚鉢の水がこぼれ、手間のかかる作業でした。外では瓦が四方に落ち、地面に突き刺さっていました。
 私はそのころ職務に専念していました。避難所に物資を届けるという役目でした。この先何が起こり、どう対応したらいいのか先の見えない状態での不安とともに、家族や家の状況のことも頭から離れませんでした。
 私たち家族を見ただけでも、それぞれの思いがあの日にはあります。
 命の大切さ、尊さを改めて考えさせられ、そして、はかなさも思い知りました。

 
いつもどおりに朝を迎えられることが当たり前ではないことも胸に刻みました。
 あの日を忘れてはいけないと思います。

 普段の暮らしの中のちょっとした会話で、その言葉おかしいでしょ、別の言い方があるんじゃないのと感じ、顔には出さねど、内心むっとすることがしばしばあったりします。
 言葉が雑だと人間関係も雑になる、と私は思っています。
 5年前のNHKのドラマ『この声をきみに』をたまたま見て、魅せられました。竹野内豊と麻生久美子の出演で朗読教室でのコミカルな姿を描いてるもので、麻生久美子の声に魅せられてしまったのです。その一場面で朗読していたのは、サトウハチロウの『ことばはやさしく美しくひびきよく---』という詩です。
        
        美しいことばは
        相手にキモチよくつたわる
        ひびきのよいことばは
        相手のキモチをなごやかにする
        ---

 この詩は、表現としての言葉を繊細に、丁寧に、大切に扱っていて、自分がいかに言葉をぞんざいに使っていたことかと反省したのでした。
        
        ---
        よくわかることばほど
        うれしいものはない
        やさしいことば使いは
        おたがいの心をむすびつける
        ---
 私は最近、朗読教室でこの詩を朗読しました。

2022年 2023年ちょっと感じたこと

 最近、どうにも理解できないことが多々ある。
 東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出について、地元の福島県知事と大熊町、双葉町の町長が放出に必要な工事の開始を事前に了解する意向だと言うのだ。地元の漁業組合などの「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」ということを地元自治体も充分理解していることなのに、なぜだ。
 知事は「東電が計画している設備に対して必要な安全対策が講じられているか確認を行った」と説明、「処理水の海洋放出そのものを了解したものではない」との立場は変わらないと言っている。どういうことだ。
 「放出に必要な工事は了解した」けど「処理水の海洋放出そのものを了解したものではない」。これで地元の人たちを納得させることができると思っているのか。私にはまったく理解できない。
 そもそも、トリチウム濃度が国の定める基準の40分の1未満になるよう海からくみ上げた大量の海水で薄めて海洋へ放出するということが最良の方法であることは海外でも常識なのだそうだ。これがまったく私には理解できない。
 環境基準とか水質基準とか1リットル中の数値がどう出るかを調べるときに、水で薄めて基準クリアです、よかったです、って、これ、詐欺だろ、不正行為だろ。

〇2023年11月20日
 
 私はいま水彩画を習っています。真っ白な画用紙に形が現れてくるという、子どものときには特に感じなかったことなのに、そこに面白味を感じています。でも、絵具だけで表現することはむずかしいです。りんごの絵を描こうとしても、色が黒ずんだり、しなぶれたようになったりして、おいしそうなりんごを描くのはそれなりに技法が必要です。自分だけで楽しむために描いているのですが、やはり誰かが見るという前提が頭にあるからしっかり表現したいという気持ちがわいてくるように思います。
 りんごの絵を描いて、それを相手が見たときにりんごとわかってくれればいいのですが、これはトマトかな、赤いパプリカかなと思ったりするかもしれません。伝わってなかったということになります。
 自分の気持ちを言葉で相手に伝えることでも同じことが言えるかもしれません。
 私はいろいろな場面でできるだけ質問しようとしています。それに対して、いやな顔をされてしまうことが間々あります。自分としては単純に分からないから教えて、という気持ちなのですが、相手はつべこべ言いやがって、とクレームとして受け止めているようなのです。自分の気持ちが伝わっていないということになります。
 「どうしたの?」「どうしたんだよ!」穏やかな顔で言うか、怒ったような顔で言うかで雰囲気が変わります。言葉に態度、感情がくっついて言葉のやりとりが始まります。自分では良かれと思ったことが、相手は逆に受け取る場合もあるでしょう。病院のお見舞いの帰り際に、「じゃ、がんばってね」という言葉に対して相手は「もう十分がんばってるよ、これ以上がんばれと言うのか!」という気持ちにさせてしまう。このとき、自分はこんな病気にならずによかったな、という気持ちが相手に伝わってしまったということなのでしょう。
 相手に寄り添ったつもりで声をかけたことでも、それは上から目線として受け取られ、形だけの寄り添いには拒否反応が出てしまうのでしょう。
 心から寄り添うには自分がその立場になることを想像してみることが必要だと思います。
 高齢になったり、体が不自由になったりした人達が生活する上でどのような困難があるのかを知り、どのような気遣いを求めているのかを考え、その人の横に寄り添う感覚が大事であると考えます。想像力が上から目線を同じ目線まで下げてくれるのです。
 相手の気持ちを想像したり、共感できることが寄り添うことになるのでしょうが、これはむずかしいことです。

〇2022年4月1日

〇2022年9月5日
〇2022年7月1日

〇2022年12月18日

 
 高村光太郎の詩集「智恵子抄」から「レモン哀歌」

   そんなにもあなたはレモンを待っていた。
   かなしく白くあかるい死の床で
   わたしの手からとった一つのレモンを
   あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
   トパアズいろの香気が立つ
   その数滴の天のものなるレモンの汁は
   ぱっとあなたの意識を正常にした
   あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う
   わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
   あなたののどに嵐はあるが
   こういう命の瀬戸ぎわに
   智恵子はものと智恵子となり
   生涯の愛を一瞬にかたむけた
   それからひと時
   昔山てん(山頂)でしたような深呼吸を一つして
   あなたの機関はそれなり止まった
   写真の前に挿した桜の花かげに
   すずしく光るレモンを今日も置こう

 これは、先日の朗読教室で朗読した作品です。ここでは、自分の読んでみたい作品を発表するという時間が設けられています。今回はこれにしようと先月から考えていたものです。
 朗読したあと、先生に「気持ちがこもっていて、とてもいいですね。」と言ってもらったとたん、涙が出てきて、止まらなくなってしまいました。私は教室の中で一番後ろの席なので、他のメンバーは気づかなかったようですが、先生の目には入ってるわけで、でも見て見ぬふりをしていただき、余計な気遣いをさせてしまって申し訳ないなと思ったのでした。
 涙のわけは、前の晩に届いたメールにあります。その1週間前に、大学時代の友だちの訃報が届いたのですが、詳しい状況が何一つわからず、悼むという気持ちにもなかなかなれずにいたところに、彼女の息子さんが書いてくれた手紙が転送されてきたのです。それによると、彼女は10年くらい前から癌と診断され、その後回復しながらも転移があり、それに伴う病気でも患い、苦しい思いをしながら最期を迎えてしまったとのこと。優しく、強い母でした、とつづられていました。
 苦しい思いをしながらもときおり、あのやさしげな笑顔を子どもたちに見せていたんだろうな、息子さんにはこんなにも事細かに知らせてくれて、つらい思いを再びさせて申し訳ないなと、しっかりした家庭を彼女は作り上げたんだな、と彼女を悼む気持ちになれました。
あなたにはレモンの香りが、似合う。

〇2023年3月5日

〇2022年5月14日