○2014年1月27日
テレビのコマーシャルを見ていると時折、「これはCM上の演出です」というテロップが出てきます。コマーシャルだから当然演出だろ、と思うのですが、視聴者の中にはそうではない人がいるようです。
たとえば、駐車場の中を車が猛スピードで走り、すばやい対応をイメージするシーンについて、駐車場では徐行すべきだ、というようなクレームがくるそうです。なので、制作者としては、クレームをつけられても、きちんと注意書きしてるでしょ、という防護の手段をとることになります。そういうところに神経を使うのもどうかと思いますが、クレームをつける人はどんな感覚でそんな行動をとるのだろうか、と理解できない部分なのです。
正義感を持ち、社会を良くしようとまじめに取り組んでいる人なのか、それとも、あの大企業に言ってやったぞ、という単なるうっぷん晴らしなのか。
私の身近にもこんな感覚の人がいます。自分の考えだけが正論であるかのように主張し、これを理解できないあなたは勉強が足りないのである、とばかりに、自分の権利と正義感を声高に言い張るのです。残念ながら、それがまわりには伝わりません。何か鬱積(うっせき)したものがあるように感じます。
「親父は立派な人だった。自分もできる子なのだ。なのに、なんでだれも認めてくれないんだ。オレを見てくれ。」というところか。
○2014年1月1日
今年やりたいこと
・英語をマスターする
うちの息子は一人でネパールやタイに出かけた。英語ができれば何とかなるという。その英語も日常会話の本を1冊読んだだけで、あとは現場で体験しながら覚えたそうだ。若い脳細胞はそうできるのだろうけど、自分はまずは英会話教室に入ることにしようか。
・油絵を習う
写真を撮り始めてからだろうか、構図や色合い、色の組み合わせなどに興味がわいてきた。撮る側ではなく、自分で描くのもいいかもしれない。
・ジムに通う
運動不足によるひざや腰の痛みでフットワークが悪くならないように筋肉を鍛えることにしよう。
・環境団体に入る
身近にある自然をそのまま後世に残すという意識を持ち、それを行動に移すことが必要である。その活動は結果のことを考えることなく、常に活動すること自体が大事なことである。すばらしい。
・富士山の写真
やっぱり富士は欠かせない。1週間くらいじっくりと向き合って、きれいな写真を撮りたい。
夫婦には離れている時間が必要である。
○2015年2月16日
暗いニュースが次々と出てくるけど、また母親が4歳と1歳になる自分の子どもを殺してしまったということだ。無理心中のようだ。育児ノイローゼが招いた悲劇。
ある保育士さんの話では最近の母親は子育ての基礎知識が不足しているようだ、と言う。インターネットで調べたりして、子どもにとって、いい、悪いの判断はちゃんとやっているんじゃないの、と私は思うのだが。
たとえば、寝返りがうまくできない。どうしてだろう。風呂上がりにはできているのに。という相談があったそうだ。これは着せ過ぎだそうだ。寒いからと言って厚着をさせたために動きが悪かったらしい。赤ん坊は体温が高いから薄着で大丈夫。大人より1枚少なくていい。と私も教わった。
基礎知識がないと、情報の流れの中で、必要なもの、大事なものをうまく捕まえることができないということなのだろうか。
ちょっと感じたこと 2014~2015
○2014年3月9日
夕べ、NHKの番組を見ていて感じたことだが、どうも言葉足らずのところがある。福島の除染の話の中で、「除染の結果、線量が5分の1になった」という表現があったが、それ以上の説明がなかった。内容としては、毎時6マイクロシーベルトから1前後まで下がったのだが、この数値は除染の長期目標である毎時0.23から比べれば5倍の数値なのだ。この番組を見た東京の人は「あぁ、下がったんだ。よかった。」という受け止め方で終わってしまうだろう。きちんと説明を加え、帰還できるかどうか、重要なポイントなのだ、ということまで表現すべきだと思う。最近のマスコミは、話題になるような点でしか物事をとらえていなく、面としてしっかり伝えようという意識がないように思うのだ。
○2014年2月16日
ソチオリンピックを毎日楽しく、そして感動しながら見ている。上村愛子選手やレジェンド葛西選手などは、本当にかっこいい。幾多の困難を乗り越えて、あきらめずに一つのことを継続しながら、常によりよい結果を求めて努力している。その行為があるからこそみんなに感動を与えるのだろう。
それは当然すばらしいことなのであるが、こういう場面を見ていると、私の胸の一部に心配の種がまた伸び始める。プロボクサーである息子のことである。
19歳でプロになり、今8年目。引退かなと思えたときもあったが、ジムの移籍という形で続けている。一途な男である。確かに努力もしている。親としてほめるに値することはやっている。自分の人生なんだから、一度だけの人生なんだから、とことんやってみればいい。と思うのだが、親としては、その先まで心配してしまう。自分が心配しても何も変わらないとはわかっているが、親の気持ちというのはそういうものだ。
2月21日金曜日の夜に試合が行われる。その試合で何か変わるだろうか。引退という言葉が浮かぶだろうか、それともあきらめない男はカッコいいとさらに思うのだろうか。
○2014年4月6日
「私はね、えらそうなことを言うつもりはないんだけど」という言葉でその人の話は始まった。
その言葉の裏が私にははっきりと見えてしまう。つまりはこうだ。「私はね、ある大企業で役員をやっていて、それなりに経験を積んでいろいろなことをきちんと理解し、分析ができる。だから私の言うことは正しいことであると思う。あなた方はまだわかっていないようだから、アドバイスをしてあげようと思う。」という態度でイスにふんずりかえって、のたもうのである。「えらそうなことを言うつもりはない」という言葉ほど、その言葉と本心の差が大きなものはない、と私には感じられる。
70代の元気なじいさん、えらかったのは、昔のことですよ。
○2014年12月31日
今年
写真の撮影に出かけた回数 45回
送別会の回数 13回
孫と会った回数 10回
医者通院 6回
健康検査 6回
幸せの基準は他人の基準で見るものではなく、自分で決めるものである。その基準は数字で表せるものではないけど、それぞれの回数を数えることができること自体が幸せなことだと感じる。
○2015年1月7日
きょうのNHKの「マッサン」を見ていて、感じたことです。
エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)とマッサンの母親・早苗(泉ピン子)とのやり取りには引き込まれてしまいました。
外国人の嫁さんには相変わらず、あたりが強く、鬼のような母親がエリーとの会話の中で、お互いの心が和らいでいく様子を表現する場面では、これがドラマであり、役者が演じていることなのに、まるで現実のことのように思えてきたのでした。演じていることを見ている人に感じさせない、これがプロの技というものなのでしょう。
「私、ボランティアをやってます!」「人に役に立つことをしたいんです!」と声に出すことは、大根役者の芝居のように思えてきました。相手の気持ちに寄り添い、そっと手を差し伸べ、いつのまにか、「あぁ、やっていてくれたんだ」と思わせるような、そんなことが本当の姿なんだろうな、と思ったのでした。
○2015年3月11日
あの日から4年が立ちました。いまだに多くの人たちがあの日以前の元の生活にもどれないでいます。
私は、いつも通りの朝を迎えました。妻と二人で、息子夫婦や孫がいる埼玉の朝はどうかな、息子が生活している川崎や新潟の天気はどうなのかな、そんなことを気に掛ける朝です。いつも通りの普通の生活ができることがなんて幸せなことだろう、と思うのです。
○2015年4月13日
漫才師の又吉直樹が書いた「火花」という小説を読んだ。
笑いながら泣き、涙を拭きながら笑った。人間の心のひだの表面を丁寧に表現し、読み手の心に素直に、しっくりと入り込んでくる。
もう一度読んでみたいと思った最初の本である。
主人公からのメッセージとして、このような一文がある。
「必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでも良かった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。」
何度も読み返しながら、プロボクサーとなって9年目を迎えた息子の姿を思い浮かべた。
○2015年4月19日
オリンピックを誘致するのだと言う。それが本気ならば、笑ってしまうとともに気味の悪ささえ感じてしまう。これは市民のための行動なのだ、と実態のないものをあえて掲げて、それに反対だと唱える者は市民のことを考えていないからだとする論法を取っているに過ぎない。
オリンピックの本部に行って、やりたいんですとアピールしたそうだが、相手は、どうぞ、我々はいいものであれば、受け入れますよという回答に当然なるでしょう。
高校野球で言えば、高野連に行って、うちの野球部でどうしても出たいんです、と言えばがんばってください、ということになるでしょう。当然のことながら、甲子園に出るには、地区の予選から勝ち抜いて頂点を目指すことになるわけだが、このチームは、いや、この人たちは3人しかメンバーがいないのだから、試合さえできないのだ。一歩も前に進めないということなのだ。
○2015年5月30日
先日、尾瀬へ行ってきた。鳩待峠からの出発の時、案内の人から、雪のために1週間前に死亡事故が発生していること、木道の踏み抜きに注意するよう教えてくれた。
十分尾瀬ヶ原を堪能して最後の登り坂で、これから尾瀬の景色を楽しもうと降りてくる人たちと出会ったのだが、狭い登山道なので、雪の上をつるつるすべりながら時間をかけて慎重に歩くのを下でじっと待つことになったのだ。足元を見ると、なんと、新宿御苑でも散策するようなタウンシューズ。これでは斜面の雪の上は無理である。その人が私の目の前で滑ったら、二人もろとも数メートル下まで落ちてしまうことだって考えられる。危険な行為である。
降りてくる人たちほとんどが雪の対応は全く考えていないようである。尾瀬・ハイキング・観光という図式なのか。事前の情報を持っていないのか。私にいろいろな情報をくれたあの案内人は説明したのだろうか。きちんとした登山者のかっこうをしていたから、あえて教えてくれたのだろうか。都会から来てくれた大勢の観光客に、その靴では行けません、とは言えないのだろうか。尾瀬では年間、数十件の転倒事故が起きている。観光と安全、どっちが大事かな。
○2015年6月28日
いやな雰囲気だ。
「早く質問しろよ」という安倍総理のヤジにはびっくりした。一国のトップがとる議員に対しての態度としてはあるまじき行為である。
今度は自民党の若手議員の連中にもびっくりだ。報道機関への圧力を求める発言。
「党の幹部の考え方とはちょっと違うんだけど、議員としての自分の将来のことや選挙資金のことを考えれば、党の意向に沿って行動しておこうかな。」という消極的な態度で若手の議員はあまり異論を唱えないのかな、と思っていたが、この発言からするとどうも違うようだ。
自分たちは数の力によって大きな権力を手に入れている。憲法論議だって時間の問題だ。成立しないわけがない。マスコミはうるさい。
議員としての資質や品位の問題ではない。知恵を持たずに権力を持った者の行動によって、よからぬ方向に進んでしまいそうだ。
○2015年12月12日
私が高校3年の時、京成成田駅を出たところでパトカーがすぐ前を通り抜けようとしていた。その窓ガラスは開いていて、後部座席にはヘルメットをかぶり目を閉じたままの警察官が乗っていた。その顔は真っ赤だった。その理由は容易に想像できた。
1971年(昭和46年)成田空港建設予定地の強制代執行が行われており、テレビでも大きく報道されていた。機動隊と反対同盟が激しくぶつかり合い、殉職者が多数出た。おそらく火炎瓶をまともに受けたのであろう。異常な赤さだった。
沖縄の普天間飛行場の移設計画に伴い、国は名護市辺野古沿岸部で新工事の着工、代執行に向けて進んでいる。
代執行という言葉で思い出したくない映像が浮かんできてしまった。
○2014年3月16日
梅の写真を撮りに湯河原町の梅林へ行った。ここは公園になっていて、開園は9時だが、入口から遠い駐車場にはその時間前に停めることができる。係りが配置につかない時間帯なので、お金を払うことなく公園に向かった。このパターンはよくあるケースで帰りに払うことになる。
きれいな写真を撮って駐車場に帰ってきて車を見たら、紙が貼ってあった。「お帰りの際、お支払ください。」思ったとおりだ。だが、次の行に書いてある言葉にがっかりしてしまった。「この車のナンバーを控えてあります」これはどういう意味か。駐車料金はもう払いましたよという顔で、払わずに出ようとしても、こちらはちゃんとわかってますよ、ということだ。つまりは、おどしである。
100人いれば一人や二人悪いやつがいるだろうが、100人全員が悪いことをするという前提で物事を進めるということはいかがなものか。と思ったのだが、普段の自分たちの業務もこんな発想だよなと思い返したのである。
○2014年5月18日
先日、パークゴルフ場での出来事。プレーの最中に急な雨が降り出した。70歳代の男4人組はそんなことを物ともせず、冷たい風を伴ってきた雨に濡れながらプレーを続けた。老体にはちょっときついのでは、と施設管理者の立場で心配していたが、一向にやめようとしない。たぶん、「もう、やめようよ。」という言葉を自分が一番先に言い出すことは、こんなことで弱音を吐いてきた人生ではない、そんなことはプライドが許さない、という気持ちをそれぞれが持っていたからではないかと推測する。
安倍首相は、集団的自衛権の行使容認の理解を求めている。これは、憲法改正ではなく、憲法の解釈という姑息な手段をとって、国民との議論をしようともせずに、自分の主張を推し進めようという恐ろしい流れになってきた。集団的自衛権、これに続く言葉として連想されるのは、「戦争」、「徴兵制」、そんな流れにはまずならないだろう、という論もあるが、ゼロではないだろう。息子3人を持つ親としては、あってはならない。そんな事態に息子たちが絶対に直面しないようにしなければと思うのだが。首相の側近たちは、「もう、やめませんか」あるいは「もうちょっとじっくり考えませんか」という言葉をかけることができないのだろうか。さもないと、また、黒い雨に濡れる、という恐ろしい事態が待っているような気がしてしまう。
○2014年6月22日
マスコミの本気度がよくわからない。
東京都の女性議員に対するセクハラやじ。「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」という女性蔑視の発言の対応について、だれが発したかよくわからないということから、右の方から聞こえてきたということを頼りに議席の並びから自民党の議員と推定される。ということをテレビのレポーターが時間をかけて説明し、コメンテーターが、これはけしからんことです、という表現で、その場を終わらせている。
だれが、という視点から始めているが、マスコミの力をもってすれば、都議会の記者クラブなどの取材で、だれが、ということはすぐわかるはずである。そこに踏み込んでいない。あるいは特定できないとしても、同僚の議員が発したのは確かなことなのだから、議員全員に対して、この発言をどう思うかという取材をし、けしからん、という答えであれば、それでは、今後どんな対応をしますか、などと都議会の対応の必要性まで議論を深める方向にもっていくべきである。タレントや一般人に疑いがかけられた場合に相当しつこく取材しているではないか。そのエネルギーをこのようなケースには向けないのだろうか。相手が議員というとあまり本気で取り込もうとしていないように感じるのである。
○2014年6月30日
NHKはおかしいぞ
29日の午後、新宿駅南口の近くで焼身自殺があった。その男性は、集団的自衛権行使の容認について反対の主張をした上でガソリンをかぶるという行動に出た。現場は騒然となった事件であるが、NHKはこれを取り上げていない。なぜなのか。車の暴走行為については細かに説明していたようだが、今回の男性の集団自衛権に関しての主張があったことを表現することをためらったのだろうか。そのためにこの件を取り上げなかったのだろうか。そんなことを感じてしまう。
そして、今夜の集団的自衛権の容認に関してのニュースの中で、容認反対の集会が開催された、という情報を出していたが、たぶん、この反対集会について言及するのは初めてではないだろうか。明日には閣議決定されてしまうという段になって、反対意見もありますよ、という情報を出して、私たちはちゃんと両方の意見を出すという報道原則をわきまえてます、という自己弁護をしているだけではないのか、といぶかってしまう。
自民党一党支配の中で批判することを得策ではないと考えているのだろうか。
○2014年7月16日
日光白根山の関係者のブログにこんなことが書いてありました。
「6月18日 白根山ルートから現在通行止めとしている旧道に進入してしまい、 身動きがとれなくなり、山岳救助隊が出動するということがありました。危険ですから登山道から外れないように注意してください」
これは、登山者の不注意であり、責任は登山者、ってことを主に言っているようだけど、それだけじゃないだろ、と強く実感したところなのです。
実は、6月16日にこの白根山ルートを歩いたのです。まだ樹林帯の数か所に残雪がある時期でした。その途中で登山ルートがわからなくなり、前にも後にも進めず、やむなく山頂への登山をあきらめ、なんとか下山ルートを探し帰ってきました。
そして7月16日。リベンジ。というより、現場検証。どこで道を間違えたんだろうか。
6月16日と同じルートを登りはじめると、途中に注意看板があり、足を止めると、「直進禁止」その下に「登山ルートは右に」と書いてありました。この場所は覚えてます。残雪が積もっていたところです。それまでのルートからしてここをまっすぐに進むのが自然であり、ルート上には残雪のあるところが一部ある、という情報も得ていたので、迷うことなく雪の上をふんばって登っていったのです。そこでルートを見失ったのです。その時に撮った写真と照合すると、残雪を登りはじめ2メートルくらいのところで右に進めばよかったのです。
その6月16日には、こんな看板はありませんでした。右に目を向けると、登山ルートが確かに見えます。いつこの看板を設置したのかわかりませんが、ここで道に迷ったのは私だけではない、ということでしょう。
そこは当然右に行くでしょう、という想定しかできない、想像力のない管理をしているのであれば、事故は防げません。
○2014年9月29日
御嶽山には以前登ったことがあります。○2014年10月27日
あなたは明日が来ることを待ち遠しいと思えていますか。
私は、たまに帰ってくる息子が社会人としてどんな雰囲気になっているか、その顔を見るのが楽しみです。ときどき会える孫がどんなに成長したか、その笑顔に会えることを楽しみに待ち遠しく感じています。
今の季節なら、紅葉の写真を撮るために、インターネットで色づき状況を確認しながら、明日はここへ行こうと、翌朝の天気がいいことを願いながら、床につきます。本当に幸せなことだと思っています。
先日、中学の時の同級生が亡くなりました。
人生の中でいろいろ経験しながら、今は独り身の生活になっていました。
定年退職後の最初の年、畑の作業中に心筋梗塞で突然に息絶えてしまいました。独り身のため、夜になっても帰って来ないことにだれも気づきませんでした。発見されたのは翌朝でした。
10月の寒い夜、一人で畑にうずくまり、朝が来ることをどんなに待ち遠しく感じていたことでしょう。残念でなりません。
○2015年4月25日
夫婦として仲良くやっていけるかどうかの判断の中で、好きなことが一致するということよりは、嫌いな、いやだなと思う観点が一致するということが大事である。
「安倍首相の発言は、やだね。あういう言い方ないだろ。」
「そうよ、福島の人たちのこと、考えてないわ。」
「さっきのニュースの解説、ポイントが違うんじゃないの。」
「マスコミも何も考えてないね。」
そんなちょっと感じたことを会話して、風の強さ、風の温度を同じように感じながら散歩することが日課となっている。
3人の息子をなんとか社会に送り出し、2人の孫まで授かった。
自分に孫がいるなんて、なんともふしぎな感じがする。今までふたりでほんのちょっとがんばった、そのご褒美として、さわやかな風とともに届いた奇跡と呼んでもいい贈り物である。
○2015年7月7日
安倍政権の暴言が続いている。
福島第1原発事故の対応で政府は、全町避難となっている福島県楢葉町に避難指示を解除すると伝達した。町民は放射能への不安が強く、安全・安心を求める声が上がっている。これに対し、副経済産業大臣は「放射線の考え方は人それぞれ異なる。安心と思うかは心の問題だと思う」と述べている。
心の問題とはどういうことだ!
政府はやるべきことはやった。あとはあなたがた住民の受け止め方次第だ。私の責任ではない。ということを言ってるのか。住民を納得させるような除染などまだまだ終わっていないだろう。
心のない全くの暴言だ。
○2015年9月6日
「私刑」
なんて恐ろしい言葉なんだろう。
東京五輪のエンブレムのデザイナーは「これ以上、人間として耐えられない。」と胸の内を明かしている。匿名なのをいいことにネット上で執拗なまでに個人を攻撃し、相手を社会から抹殺する。悪いことをしているのだから当然の報いなのだ、とばかりに、相手が折れれば、自分たちの勝利だとして酔いしれる。
議論もなしに相手を痛めつけるだけで、問題の本質とは全くかけ離れてところに無駄なエネルギーを使っているだけで、そこからは何も生まれない。
マスコミも同じようなものだ。ネット上で大変なことになってます、と伝えるだけで、それをあおるような態度に見える。デザインの盗用かどうかを判断するのはむずかしい、ということであれば、安易に非難することはやめましょう、ということを議論の中心に持っていくような姿勢が取れないのだろうか。
○2015年9月10日
驚いた。
きょうの未明、聞きなれない音色が携帯から鳴りだした。この地域の土砂災害警戒情報が発表されたのだ。
そして、夕方、また驚いてしまった。
フジテレビのニュース番組「みんなのニュース」の中で、この災害情報のことを取り上げ、二人のコメンテーターが発言した。一人は産経新聞編集委員の久保田るり子さん、もう一人は作家の江上剛さん。久保田さんは、携帯が鳴って、うるさいなと思ってすぐに切ってしまった。江上さんは来たのはわかったけど、中身を見ていない、というのだ。
「私は常識をわきまえてます」という顔をしている人が平然と臆面もなく、こういうことを言ってのける。この非常識さには、あきれてしまった。
実際には見ていなくても、「これは大事なことですから、みなさんきちんと見ましょう。」というコメントが言えるのが電波に乗せる側の常識だと思うのだ。
○2015年9月15日
戦争反対! 9条守れ! 戦争反対! 9条守れ!
国会議事堂の前で、久々に生のシュプレヒコールを聞きました。
学生時代のものと比べると、きっちりし過ぎていて迫力に欠けるかな。
なぜ、ここに足を向けたかというと、怖さを感じているから。
「日本の将来のことをしっかり考えているのは私だけです。みなさんはまだ理解する能力がないようですが、私について来れば大丈夫です。」のようなことを平然と言ってのけるリーダー。独善的な態度であり、その強引な手法に不安と危うさを感じるのです。そして、それは、息子たち、孫たちに影響してしまうということを考えるとなおさらです。
憲法違反であるという指摘に対して納得のいく説明がなく、集団的自衛権を行使する必要性、目的についてなど、重要な点についての国会の審議は、それぞれが自己主張をしているだけで、論議という形にまでなっていないことは、野党のふがいなさを含めて国会に対して不満を感じます。
「で、おじいちゃんたちは、そのとき何をしたの?」と孫に聞かれたときに、きちんと答えられるか、そこが怖いところです。
○2015年10月13日
昔、正月と言えばラグビーだった。サッカーでも箱根駅伝でもなくラグビーだったのだ。
1月2日に大学選手権があり、15日には日本選手権。強いと思ってた明大が社会人にはあっさり負けてしまうんだな、とそんな印象が残っている。
今回の大会では、五郎丸という名前もインパクトがあるが、彼のインタビューでの言葉には重たさを感じた。
「ラグビーが注目されている今だからこそ、日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び、日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが、日本を背負っている。これがラグビーだ。」
トンガから来ている選手はトンガの代表選手にとの誘いを断って日本に来た。もうトンガの代表になることはできないというのに。
歴史は変わっていた。