当時、息子夫婦は東京に住んでいました。
あの日、彼女は「明日から産休に入ります」と柏市にある職場でみんなに挨拶し、4月下旬の予定日までのことを多少の不安とともに思いを巡らせていました。
午後、大地震。
彼女はこのまま職場に残ろうか、自宅に向かおうか迷いながらも、友だちの運転する車で渋滞の中を10時間以上かけて無事に家にたどり着きました。深夜でした。その報告を息子から受け、私たち夫婦は本当にほっとしました。今までこれほどまでに安否を気遣うという経験がなかったのですから。
1か月後、かわいい女の子が誕生しました。
「当たり前だと思うことが、本当は奇跡の積み重ねなのね」妊娠、出産に対しての私の妻の言葉です。災害の中での幸運も含めてということです。
その妻は、あの日一人で夜中まで家の中の片づけをすることになってしまいました。パソコンは吹っ飛び、写真の額縁が落ち、ガラスが飛び散り、金魚鉢の水がこぼれ、手間のかかる作業でした。外では瓦が四方に落ち、地面に突き刺さっていました。
私はそのころ職務に専念していました。避難所に物資を届けるという役目でした。この先何が起こり、どう対応したらいいのか先の見えない状態での不安とともに、家族や家の状況のことも頭から離れませんでした。
私たちの家族を見ただけでも、それぞれの思いがあの日にはあります。
命の大切さ、尊さを改めて考えさせられ、そして、はかなさも思い知りました。
いつもどおりに朝を迎えられることが当たり前ではないことも胸に刻みました。
あの日を忘れてはいけないと思います。
「だいじょうぶですか」
先日、孫たちとディズニーランドへ行ってきました。5歳の女の子は子どもから夢見る少女になり、2歳の男の子は会場内を飛び回ったり、大人をおちょくるような態度を取ったりしてきます。今までできなかったことができるようになり、自分の世界がどんどん広がっていく喜びを全身で表しています。
逆に、今までできていたことができなくなったら。
高齢になり自分一人では外出が困難な人のために病院へ車で送迎するボランティアをやっていたときのことです。
病院の玄関へ横付けし、どのくらい待つことになるか確認するため、利用者の方と一緒に受付まで行こうとすると、その70代の女性は「すいませんねえ」と言い、私の腕にそっと手をまわしてきました。それは、本当は誰かの世話になりたくないんだけど、足がおぼつかなくなって、ほんのちょっと支えてくれれば何とかなるのよ、という気持ちを込めた力の入れ具合であることが伝わってきました。
薬局では、自分の名前を呼ばれても聞き取れなかったり、薬剤師とのやりとりでもうまく説明できなかったりして、涙ぐんでいるようでした。ここで私が間に入ればスムーズに進むのではないかという気がしましたが、あえてそうはしませんでした。彼女が自分だけでできずに、また誰かの世話になってしまったという思いを強めるだけだと思ったからです。
今までなんでもないようにできていたことが、いつの間にかできなくなる。これを感じたときに自分をみじめに思ってしまいます。そのような人に、だいじょうぶですか、と声をかけ、私が何でもしてあげますよ、と手を差し伸べることは独りよがりのような気がします。
気持ちの伴わない言葉はその人にとっては空々しく聞こえるに違いありません。心配などされたくない、という感情にしてしまいます。上から目線では共感は得られません。
無神経な言葉にしないためには自分がその立場になることを想像してみることが必要だと思います。
高齢になったり、体が不自由になったりした人たちが、生活する上でどのような困難があるかを知り、どのような気遣いを求めているかを考え、その人の横に寄り添う感覚が大事であると考えます。想像力が上から目線を同じ目線まで下げてくれるのです。
前を向いて、目線を上に向けて、お互いに気持ちよく手が触れ合える雰囲気になることを願っています。自分もたどる道ですから。
〇2024年1月5日
2024年ちょっと感じたこと
〇2024年3月11日
エッセー集
ある投稿から
知覧へ
ずっと以前から、訪れたいと思っていた場所でした。
早朝のためか、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)は人影もまばらでした。小雨の中、ひっそりと建つその施設の前で、もう胸がいっぱいになりました。
いつのころからでしょう。先の大戦のことを知りたいと思うようになったのは。
現在の電気通信大学の学生だった父は、同年代の青年が出征する中、敵国の無線傍受の訓練のため出征することなく終戦を迎えました。あと数カ月戦いが続いていたら、父も戦地に向かっていたかもしれない。重い歴史の事実に、若かった私は関心を寄せることなく、戦時中の貴重な話を尋ねることもなく、父が亡くなって20年になります。
特攻で亡くなった方々の遺影に父を重ね、胸が痛み涙が止まりませんでした。しっかりした筆跡の遺書の陰には、本当の気持ちを表すことができないつらさと悔しさがにじんでいるようで、途中から読めなくなりました。
今年もあとわずかです。新しい年を迎えることなく、理不尽な死に方を強いられ、散っていった多くの青年たち。世界は今も戦争で多くの人が亡くなり、傷ついています。いつになったら、人間は愚かさに気づくのでしょう。
帰る道の両側に、戦死した隊員のために建てられた1000を越える石灯籠がありました。そっと手を合わせ、別れを告げました。(2023.12.30)